「ユニークな脳」に罪は無い
「あなたは発達障害です」と初めて言われる時、ショックを感じる人も多いようです。
「障害」という言葉に抵抗感を感じてしまうのですね。
私(施設長森山)の意見は、発達障害の「ユニークな脳」を表すもっとニュートラルな言葉があったほうがいいと思っています。
たとえば、英語ではneurodiversity(脳神経の多様性が高い状態)という言葉を使ったりします。
ちょっと難しげな単語ですが、発達障害の中立的な表現を目指す語なのです。
このneuro(ニューロ)というのは「神経」という意味で、diversity(ダイバーシティ)というのは「多様」という意味です。
つまり脳神経が、「多様性が高い」。すなわち「多くの人たちとは違っている」「ユニークな有り方をしている」と言っているのです。
英語では、「障害」と呼ばない表現が誕生しているのです。
ADHDや自閉症スペクトラムの人の脳は異常があるわけではなく、違いがあるだけだと言うのです。
脳の違いは、脳の各部位をつなぐ配線の違いにすぎない。
決して劣っているわけではなく、その違いはノーマルの範囲内です。苦手なことがあるとしても正常な脳なのであって、個人差の範囲内だということなのです。
「自分の脳は個性的なのだ。ただneurodiverseなだけだ」と主張できる人が欧米には増えてきた、ということですね。
もしそういうふうに主張することが出来ずに、出来ないこと・欠点ばかりにスポットライトを当ててしまうと、そこにレッテルを貼って「悪いもの」としてしまう。
「ユニークな脳」には強みもあるのに、その部分は見なくなってしまうのです。
この「ユニークな脳」は時々、俗に言う「空気を読まない」行動をしてしまうのですが、本人には悪意が無いのでそれは断罪されるべきではないのです。本人に罪はないのです。
わざとやったことでないのなら罪に問えないというのが、昔からの法の考え方だからです。
ですから、俗に言う「空気を読まない」行動があったとき、「それがneurodiverseな脳から出たものなら、非難しない」というルールが社会の中で確立されるべきである、と思っています。
そしてneurodiverse脳であることを本人も社会も偏見の目で見ない、ということが当たり前になる日が来てほしいです。
neurodiverse脳という英語ではわかりにくいので、ユニークな発達を遂げた脳、という意味で「ユニーク発達脳」と呼ぶのはどうでしょうか。ニュートラルな見方が定着していけば、つらい思いをする人たちが少なくなっていくはずです。